過ぎましたが誕生日でした。
平和に家族と迎えられるのが、何より幸せ、というアラフォーです。
そして二回の誕生日を思い出しました。
ひとつは16年前の誕生日、中国北京の語学学校でshoさん達に祝ってもらった日。
その年に私は鍼灸の勉強を始めました。(shoさんはもう鍼灸師でした。)
もうひとつは11年前の誕生日、東京での研修初日でした。
朝から夜10時まで治療院で働いて、11時に品川で駅そばを夕飯に食べながら、
一番地味だけど、一番希望的な誕生日だと幸せをかみしめたのでした。
私は手に職が欲しくて、人を助ける仕事がしたくて、10代からずっと迷っていたので、
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中国で鍼灸を始められた時と、鍼灸師になれた時は嬉しくて、
鍼灸三昧の日々でハリバカでした。
研修させてもらったのは、呉迎上海第一治療院
呉先生は上海で活躍されたいた中医師。
現在は日本に帰化して、恵比寿で開業されています。
その治療院には、中国の病院のように様々な患者さんが毎日何十人も来られます。
その様子を、先生の著書「鍼灸の世界」で読み、
是非現場で学びたい!と、研修生に応募して、
一年間、治療院から講習会まで手伝わせていただきました。
その間、専門誌に論文も書かせてもらって、良い経験でした。
治療院では、がん、うつ、麻痺、リウマチ、脳卒中、不妊、子宮筋腫、
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その他様々な難病の方の治療を手伝わせていただきました。
その経験は、中国での病院実習に、日本の事情を重ねられて、
今でも、貴重な私の基礎になっています。
そして、結婚して長野へ来たら、
数は少ないけれど、shoさんが開いている治療院にも、
がん、うつ、麻痺、リウマチ、脳卒中、その他難病の方などが来ていて驚きました。
研修生終了後はshoさんと一緒に講習会にも行っていたので、
呉先生の開いた学校の実習生受け入れを頼まれた事もありましたが、
小さな田舎の治療院では患者さんに負担が大きいのでは…
とお断りしました。
でも、私達も機会があれば何かの形で、後進を育てる事もしていきたいと思っています。
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私も、ここまで多くの先生と患者さんに育ててもらいました。
見守って下さった皆さんと、長らくスネをかじらせてくれた両親には大感謝です。
そして今も、まだまだ勉強中です。
いくつになっても成長し続けられるように、前をみていたいです。
shoさんの治療家への道は、伝説的な先生との出会いがもっと沢山あって面白いのですが、
それは、またいつかの機会に。
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